2012年12月5日水曜日

旅人との付き合い


『明るい窓』(病院職員ニュースレター)9月号
チャプレンからのメッセージ

「病院」というのはそもそも教会から生れたものである。4世紀から盛んに芽生えていく修道院がその発祥となる。慌ただしくて貪欲に満ちた世間から退き、厳しい修行と絶えない祈りをとおして自らの心を清め神に向け直し、イエスさまの模範に倣っていくのが修道院の本来の目的であった。

しかし、早くから旅人に対するホスピタリティにも心を配るようになったようである。「旅人をもてなすことを忘れてはいけない。そうすることで、気づかずに天使たちをもてなした人たちもいる」(ヘブライ13:2)という聖書のみ言葉をきちんと受け止め、修道院に足を運ぶ人一人一人へのもてなしを神聖な責任として励んでいたのである。

しかも当然、旅人は色々な状況でやってくる。旅路で追いはぎに襲われたり、体調を崩したり、怪我したりする旅人への接遇は、必然としてあらゆる手当ても含まれる。こういうケアも最初から崇高な務めとして見なされた。最古の修道会の創立者である聖ベネディクトが作った戒律に次の文章がある:「病人のケアはどんな仕事よりも優先させるべきである。病人に仕えるのは、キリストご自身に仕えることの如き」(36章)。

こういう流れの中で、修道院はどんどん医学的知識を高めていき、たまたま現われる旅人だけでなく、治療を求めに来る人も増えていく。今日世界中、教会によって病院が建てられているのも、こういう歴史に端を発しているわけである。
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数年、乳がん発覚当初からその寛解まで時々会って話を聞かせてくれる患者さんに、先日、またお会いした。最近の定期検診で「またか」と疑われるような要素が出てきてしまって、精密検査の結果待ちで不安でしょうがない、という内容を涙ながら話してくれた。そこで彼女は「祈ってほしい」と僕に頼んだ。

一瞬戸惑う。医療者でない僕は、「再発か」と思うとちょっと動揺する。現状からあまりに離れたような祈りをしたくない。が、しかし、神の助けを頼りにしようとしている患者さんの思いに合わせるのも大事なことだと思う。「どうか、結果がすべて陰性でありますように」、とためらいがちに祈ったら、向こうの表情が若干安堵したように見える。

またその数日後、彼女は僕のオフィスに寄って来た。「再発してない」という一言の吉報をもたらしてくれたのである。

チャプレン室の真ん中に立っている二人の収まらない笑顔と長い、長い無言の握手...
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僕にとって、聖路加における仕事の多くの喜びの中の一つは、こういった「人生の旅」をしている人との付き合いができることである。

本来、何のつながりもなかったはずの人と出会い、人生の最も重要な場面にところどころ立ち会えることは、不思議で仕方がない。ずっと旅路に付き添っているわけではなくて、時折会って、不安も望みも、喜びも悲しみも分かち合えるのが大きな恵みに感じる。

こういう付き合いを神聖な責任として受け止めて、励んでいきたいと思う。

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